2013年2月14日木曜日

メイドイン北海道の防具づくりを目指して

久々のアップです。

2月6日(水)に、フナちゃん(3年F 組の船田幸治)とヒデ(3年D組の廣岡秀夫)と共に、赤平市の革製品の「いたがき」さんにお邪魔してきました。

以前、フナと話していた際に、日本で流通している安い剣道の防具は、そのほとんどが中国製・・・

フナは、オーダーメイドの防具を手掛ける道内では珍しい防具屋を営んでいて、中国産の防具をネット通販で激安で販売している分野には手を出していない・・・

北海道には、エゾシカも害になるほど生息しているし、北海道産の防具を夢見て、まずは革製品の専門家!という事で「いたがき」の板垣会長にお会いしてきました。

鞄の「いたがき」って知ってる?
俺も周りにいたがきの財布やバックを持っている人は多数いて話はよく聞いていたけど、鞄などにはあまり興味が無いので・・・

「鞄のいたがき」
http://www.itagaki.co.jp/

今回、フナとの話から、空知単板の松尾社長にお力添いを頂き、親しい板垣会長にお会いする時間を作ってもらいました。

赤平市の郊外にある「いたがき」さんは、風光明美なところに立地していて、とても素敵な社屋でした。
外観

鹿の皮についてのご相談でしたが、73歳になる板垣会長は若々しく快活な方で、目をキラキラさせてお話頂きました。

お話の中で、社長を娘さんに譲り、会長職に就いている現在でも、「革の事しか考えていない」と言われていました。
第一線を離れ、悠々自適な毎日を送れる立場にあっても革の事しか考えていないと、キラキラした目で話されていた板垣会長は、本当に素敵な方でした。

そして、鹿は猟友会が駆除した時に出るものしかなく、品質が安定しない・・・
そしてフナちゃんに「鹿牧場をやればいい。それは何十頭じゃなく、何万頭という規模でやったらいい」と言われました。

唖然とするフナに板垣会長が言った「一生をかけてやろうと思えば何だって商売になる!」という言葉も、重く響く言葉でした。

北海道にもこんな素敵な経営者が、そしてブランド力を持った企業がある事に気付くと共に、誇りにさえ思えました。

社屋は、建築家が設計した環境にも配慮した素敵な建物でした。

フナちゃんの夢「メイドイン北海道」の防具実現に、乞うご期待!

間伐材のペレットを燃やすペチカ・・・やさしい暖かさでした。
小窓から見る本社ショールームの様子

鞄のいたがきさんの後は、友人でもある松尾社長の空知単板工業さんの見学です。

こちらは、友人の建築コンサルタントが考えている工務店に向けた建築規格の協会設立にむけて、国内で製造されているフローリングの4割をシェアを持つ松尾社長にご相談の為に伺いました。


以前から、お酒とカラオケの場では松尾社長と御一緒していましたが、会社に伺うのは初でしたが、とにかく凄い!!!

木の板の加工に、これだけの手間と品質管理をしているのに、何よりも驚きました。
そしてスタッフの方々の対応も素晴らしく、作業中にも関わらず、全員があいさつをしてくれる。

工場内の至る所に改善の取り組みが表示してあって、全員で努力している様子が伺えました。

北米の木材
木を薄くスライスする機械
木材を様々な過程で仕上げていく
ロボットやレーザー光線も至るところにあって、近代化が進んでいる様子も伺えました。

中でも驚いたのが、「バイオ乾燥機」。
一般的な乾燥機で木材を乾燥させると、木は細胞内に持っている天敵から身を守る為の毒素を放出する為、体が弱かったり、アレルギーなどがある方には良くない場合がある様ですが、バイオ乾燥機の場合にはそういう事が起こらないので、障害者の方の施設やアレルギー対策として活用され始めているそうです。

北海道の先進的な技術なんです。

自分の仕事とは直接関係はありませんが、北海道に日本が世界に誇る優良企業があり、それが札幌ではなく、地場産業であるという事に誇りを感じます。

空知単板工業株式会社HP
http://www.sorachitanpan.com/index.html



松尾社長は、100kmウォークをいうイベントを毎年開催していて、昨年は800人を超える参加者が100kmを走破したそうです。
俺も毎年誘われていましたが、いつもミニバレーの試合とブッキングしていたため、サポーターとして1度だけ参加しましたが、今年は参加者としてヒデと共に参加する予定です。

昨年、北海道のローカル番組で、松尾社長と100kmウォークの特集番組を放送していましたが、一緒に歩いていた松尾社長の娘さんがめちゃくちゃ可愛いんです。

人のご縁に感謝し、自分の居る環境に感謝し、自分のやるべき事をコツコツと継続する。

自らを育んでくれた地域に感謝して、そこから世界に発信している企業家との時間は、道産子として誇らしい一時であり、自らもそうありたいと思う指針にもなりました。


フナちゃん、頑張れ!



以前、取引先の希望で、余市のニッカウィスキー蒸留所に行ったことがありました。
全く興味もない場所でしたが、行ってみて考えが一変しました。

たった一人の日本人がスコットランドに渡りウィスキーの製造方法を学んで帰国し、余市の地で始めた仕事が一大文化となり、今なお活き続けている様子に感銘を受けました。

本物は、活き続けるのでしょうね・・・

2012年12月12日水曜日

餅つき

12月9日(日)、知人宅で餅つき大会が行われ、ヒデと参加してきました。

毎年誘われながら今年初参加のこの餅つき大会は、今回で13回目。

会社兼自宅の地上3階建てのビルの1階で、石と木の2つの臼を使っての餅つき大会。

一日かけて、50名以上の方が入れ替わり参加するこの餅つき大会、凄い熱気だった~



壮瞥時代は、友達の家の餅つきに行った事はあったけど、自宅では餅つき器を使ってた。

それでもつきたてのお餅は美味しかった!!!

今じゃそれも無くなって、ほとんどが「さとうの切り餅」だし、鏡餅までさとうの切り餅が小分けになったものが入ったものになって、自分たちで作った餅なんかほとんど食べなくなった。



そういえば、何年か前に町内会の正月餅つき大会に参加した事があったな~。

主に町内会のじいさん達が中心となって行われてたけど、このじいさん達がタフだった・・・

俺がつく時に、この兄ちゃんはどの位持つかな~なんて言ってて、案の定、2回分くらいやったところで終了~~~!

じいさん達は、その後もずーっとついていた・・・

昔の人たちは凄いな~と思った。



今回は、定番のきなこや納豆、アンコ以外に、大根おろし、雑煮、イチゴなどがあり、炊きたてのもち米を使ったおこわなんかも出ていた。

やっぱりつきたての餅は旨いな~~~!

体を使う日常も大事だと、改めて感じた。



ちなみに、ヒデもオレも汗だくになって杵を振り、最後はボロ雑巾の様になってた。

でも楽しかったし、美味しかった!!!

日本の良き文化を体験した一日でした。

餅つきの合間に談笑するヒデ(左)と俺(右)
餅つき中のヒデ

俺の小3の愛娘「りお」も参加しました。

2012年12月4日火曜日

ちょっと早めの忘年会 ~ヒデとの再会~

11月29日(木)に、高校時代の友人のちょっと早めの忘年会がありました。


参加者は、F組船田幸治、田中恵三、D組廣岡秀夫、渡辺博之、高森寿彦、山田剛、大泉太、途中参加で1年F組佐藤(現:門間)祐児、オブザーブで虻田高校の村山学の、計9名。

昨年は参加できず、俺はほとんどのメンバーと数年ぶりの再会となった・・・



フナちゃん、祐児、学は、頻繁に会ってたけど、剛、寿ちゃんは久々で、恵三は飲んでる席で俺の好きなドラマーの話になったと言って深夜に電話が来た以来・・・

以前は、お誘いがあったら全て参加していたけど、公私共になかなか慌しく、なかなか参加できない今日この頃・・・

当日も、家庭の予定があり、終了後、遅れて合流・・・



その中で、今回、ホント久々だったのが、ヒデ!!!

実は、俺とヒデの間には、合言葉の様な体操「ワンツーハイ」なるものがあり、再会した時は、言葉を交わす前にまず「ワンツーハイ」だな!と決めていました。

会場に入った途端、すぐ近くにヒデが・・・

早速、ワンツーハイのポーズをとったところ、ほぼ同時にヒデも同じポーズで向き合う・・・

数年ぶりのワンツーハイ!!!

終ると同時に、ヒデが涙ぐむ・・・

速攻で剛が「ヒデ、泣くなよ~」と突っ込む・・・


いや~懐かしいやり取りで、やっぱり高校の仲間はイイナ~というところからスタート!!!



昔話に花が咲き、懐かしい話が次から次へと出てくる!出てくる!

面白かった~



そのお店を出てから、剛の知っているお店で2次会!!!

俺は途中から記憶が断片的で・・・多分、うたた寝が始まっていたのでは?

2次会会場を出てから、「ラーメンを食べに行こう~」と歩いていたのは覚えているけど、その後も断片的で・・・



翌朝、携帯を見たら、3年D組の4人がラーメン屋さんでラーメンを食べてる写真が・・・

やっぱりラーメン食べたんだ・・・

寝室横の廊下に、ワイシャツと靴下が散乱してる・・・

1階に降りて妻と会うと、「昨日3時に帰って来てたけど、大丈夫?」と・・・



ああ、3時だったんだ・・・どおりで・・・

そんな飲み方は久々・・・相当楽しかったみたいです!
※俺は随分やられた顔してます。
手前から剛、ヒデ、渡辺、俺・・・結局最後はこのメンバーか・・・


追伸
そろそろ同期会やりたいね・・・なんて話が出てたから、そろそろ誰かが動き出すのでは?

2012年11月24日土曜日

思い出のアルバム①

部屋の片付けをしてて、懐かしい写真が出てきたので、ご紹介します。

俺の大好きな一枚です。



壮瞥町保育所の遠足でリンゴ園に行った時のワンショット!!!


この中に、伊達高メンバーの壮瞥軍団が4人います。
誰かわかるかな~?

①前列の右の俺以外に

②後列の左から2番目=3年B組 剣道部で、背が高くてモテた男
③後列の左から3番目=3年D組 剣道部で、モテた男
④前列 の左      =3年F組 柔道部で、同期で一番の悪ガキ









答え・・・

②A・K    =現在、専門学校の教師
③秋山 雅敏=現在、日本一の靴の営業
④船田 幸治=現在、武道具販売会社の社長

みんな、可愛いでしょ・・・!

2012年11月16日金曜日

社会人バレー(番外編)

 高校卒業後、俺は3年A組の山本千秋の長兄「勇さん」に誘われて、札幌の社会人バレーチームに所属した。

勇さん、勇さんの弟、ピエロさん、1コ上のワジ先輩などが居たチームで、カッコいい先輩が多かった!!!



勇さん世代は、俺の5~6コ上だったと思うけど、伝説の先輩で、伊達高バレー部もこの頃は強かったらしい。

千秋の次兄と共に兄弟でウチらの合宿にも手伝いに来てくれてた。。。

室蘭勢との館山公園の抗争を始め、武勇伝は数知れず!

とにかくカッコイイ先輩達だった!!!

俺が所属していたのは半年くらいで、勇さんが会社を立ち上げる事になりチームは解散。



その話を聞いた2コ上のキャプテンまっちゃんに誘われて、札幌で5年間、社会人バレーをやってた。

知り合いはまっちゃんだけだったけど、静内高校出身の同級生3人と同級生のマネージャー2人がいたので、すぐに馴染み、楽しくプレーできた。

当時は車が無かったので、バレーボール6個を入れたケースと自分のバックを持って地下鉄で移動していたな~がんばってたな~



強い様な弱い様な微妙なチームだったけど、一応、センターに入っていた俺と対角の静内高校出身の八田くんが看板のチームだった。

俺は当時、ジャンプが高かったので「バネ夫くん」と呼ばれてた。


1年くらいで1級下のメンバーが入ってきて、同時に女子部が出来た。

そこで妻イクと知り合う事になる。



試合でも、東海第四OBのチーム相手に善戦したり、無名だった選手やバレー以外の部活だったメンバーがいた割には、頑張ってたチームだと思う。

特に東海大四で全国大会に出場した経験のある197cmのセンターのいるチームとの対戦は楽しかった!!!

高校時代は、雲の上の存在の東海大四のメンバーと対戦できるのも社会人バレーの醍醐味だった。

何せ、ネット越しに立つと、相手の胸についているゼッケンが俺の顔の前にあった・・・

さすが197cm、どんだけデカイんだ!!!


1セット目、Bクイックを読んでブロックに飛んだら、50cm以上横からスパイクが飛んできた。

しかも、こちらの攻撃のほとんどがブロックされ、1セット目はほとんどシャットアウトだった。

2セット目、相手の様子も分かってきた頃から、スパイクが決まり始め、相手の攻撃もブロックに当たる様になってきた。

楽しい試合だったけど、フルセットの末惜敗。



当時の社会人バレーは8部まであったはずだけど、ウチのチームは3部~4部を行ったり来たりしていた。。。

25歳の時、仕事も忙しくなり、体的にもキツくなってきた事で引退・・・

以降、結婚を経て、メタボ一直線!!!





38歳でミニバレーをはじめ、競技は違えど、またバレーを始める事に。

バレーボールは職業になりにくいので、子供たちには違う競技を・・・と思っていたけど、結局3人ともバレーボールをやりはじめ、結局、家族全員でバレーボール一家の現在。



長男ユウタは中学からバレーを始めるが、先月の新人戦ではエースでキャプテンとしての初大会で1年生主体のチームを率いて札幌大会準優勝、その活躍を評価されて札幌南選抜に選出された。

次男コウタは、背が小さいもののレシーブのスペシャリストで、北海道で三番手を争うチームのキャプテン。

長女リオは小学3年で始めたばかりだから何とも言えないけど、戦闘能力を感じるタイプでは無いが、意外にセンスが良さそうなので、今後に期待!!!



まあ、バレーボールは身長が大きく影響する競技なので、今後、どれだけ背が伸びるかによって将来が決まるのでなんとも言えないけれど、今までは夫婦だけで楽しんでいたスポーツに子供たちも加わり、家族で楽しんでます。

春高バレー北海道予選の様子(北海きたえーる2011/11/15)

2012年11月15日木曜日

伊達高バレー部(後編)

バレー部に入部する事になった俺と祐児・・・

しかも同じ1年F組で、豊浦中学校の野球部で期待の星だったとしちゃんも、何故かバレー部に・・・

あとは光陵中学校バレー部だった谷藤学志(通称ゴン)と坂本進(通称ススム)が同級生で入部した。(確か入部当時は鈴木達也もいた様な・・・)



3年生で松田政男(通称まっちゃん)キャプテンは、とにかく厳しかった・・・

ボールを使った練習では、失神する奴も頻繁だったし、ランニングではゴール直後に吐く奴はいるし、他の部の連中からも同情される始末。。。

としちゃんはまっちゃんと同じ中学校で家知ってるから、みんなで石投げてやるか!!!

なんて、子供のような原始的な報復まで企てていた・・・




1年生なので雑用も多かったが、マッサージ上手な祐児は、練習後はいつもゴツイ顔の3年生のマッサージやってた・・・

まあ、とにかく練習は一生懸命にやってた・・・やらされた!?



俺と祐児は1年生の秋の新人戦がデビュー戦だった!

俺はレシーブが良かったらしく(当時)、今でいうリベロ的役割でスタメンに入ったが、祐児はレフトで実質エースでスタメンに入っていた!




当時の伊達高は、あまり強いチームでは無かったが、俺が拾って、祐児が決める!内容で勝ち上がり、当時室蘭地区最強だった室蘭栄高校と対戦。

2年生の3枚のアタッカーは凄かったが、伊達高はレシーブをよく上げて繋がった。

そして1年生エースの祐児がレフトからオープントスを決め、後衛になればバックアタックで決め続けた。


一進一退の試合はフルセットに!

途中、相手チームの監督がタイムをとった際、「あんなチームにやられて恥ずかしくないのか?」と怒鳴って、持っていたタオルで選手を叩いていた。。。

結局、惜敗したが、そのチームはその後の南北海道大会で東海大四との試合でフルセットまでもつれたらしいので、相当強いチームだったと思う。


栄高校の試合前のブロックのデモンストレーションは目に焼き付いているけど、凄かった。

そのブロックの上から強烈なドライブのかかったスパイクを打ちこんでいた祐児は、今思えば本当に凄かったと思う・・・

ウチの子供たちがバレーをやってて、長男の2コ上の先輩は昨年全国大会出場、そのうち3名は今の北海道の高校バレーをけん引していく存在で、エースだった子は185mc。

祐児は187cmで垂直飛び80cmだったはずだから、今の高校バレーで見ても北海道選抜に選ばれる様な逸材だったと思う。

だからこそ、1年生で辞めてしまったのは、本当に残念だった!



栄高校に敗れベスト4は逃したものの、上位3チームだけが参加できる特別合宿に俺と祐児が選出された。

祐児とは、そこで名前売ろうぜ~なんていって張り切ってたけど・・・



直前にまっちゃんをはじめ3年生のバレー部の先輩たちが、タバコで停学に!!!

俺たちの特別合宿も自粛することになり、幻に・・・

まあ、その後もあると思ってたけど、祐児が去り、俺たちの代では勝てず、結局、俺のバレー人生は1年生がピークだったと、今気付いた。



3年生でバレー部を引退した後に、豊浦高校の宍戸(通称モンキー)、伊達緑が丘高校の白戸ともう一人(名前忘れた)、俺ととしちゃんとゴンでチームを結成して、社会人の大会に出場した事があった。

前年は、苫小牧の「翼」というチームが北海道代表で全国大会に出場していて、その大会の決勝も「翼」との対戦。

見事勝利して優勝!!!

それ以降の大会は辞退し、翼が繰り上がりで進出したけど、楽しかった~


ここで俺の高校バレー時代は終了~

最前列中央が俺、3列目右からススム、としちゃん、ゴン


社会人バレー(番外編)へと続く。。。

2012年11月14日水曜日

伊達高バレー部(前編)

昨日から、春高バレーの北海道予選が、札幌市の「北海きたえーる」にて開催されてます。



今日は、北海きたえーるで高校バレーの試合を見ながらの昼食!!!

伊達高バレー部は、北海道大会には縁が無い弱小チームだったけど、26年ぶりの高校バレーはイイね~

ギャラリーに着いた途端、小学校、中学校共に同じ父母会のお父さんとバッタリ・・・
凄い縁だ!


中1の長男の2コ上の先輩が、一年生とはいえ名門東海大四や公立の星の藻岩高校の主力選手となっているので、試合してたらイイな~と思ったけど、試合していたのは別のチームだった・・・

江差vs札幌啓北商業、札幌平岸vs苫小牧工だったが、みんな良いプレーしてた!!!

札幌平岸vs苫小牧工
江差vs啓北商業


俺は、佐藤祐児(退学)、D組高森寿彦(としちゃん)、B組坂本進、E組谷藤学志と共に伊達高バレー部だった!


同じ壮瞥中学校だった祐児と「高校に入ったら同じ部活に入って、最強チームにしようぜ!」なんて言って、入学早々に各部活を見学してバスケ部に入部を決めた!!!

当時の伊達高バスケ部は、女子はユニフォームに北海道のマークが付いている強豪校!!!

しかし、男子は女子の練習相手・・・といった印象の、あまり強そうなチームじゃない様だったから、バスケ部なら即レギュラーだ!!!と言ってバスケ部に決めた。


祐児と体育館を出て玄関ロビーを通った時、バレー部が筋トレやってた・・・

身長187cmの祐児は、真っ先にキャプテン松田政男に目を付けられ、呼び止められる・・・

ヤバいな~と思ってたら祐児が、「アイツ、垂直飛び1mですよ!」と俺を指す・・・



・・・



お前も来い!!!


結局、翌日から強制的にバレー部に入部する事になった・・・




続く