2月6日(水)に、フナちゃん(3年F 組の船田幸治)とヒデ(3年D組の廣岡秀夫)と共に、赤平市の革製品の「いたがき」さんにお邪魔してきました。
以前、フナと話していた際に、日本で流通している安い剣道の防具は、そのほとんどが中国製・・・
フナは、オーダーメイドの防具を手掛ける道内では珍しい防具屋を営んでいて、中国産の防具をネット通販で激安で販売している分野には手を出していない・・・
北海道には、エゾシカも害になるほど生息しているし、北海道産の防具を夢見て、まずは革製品の専門家!という事で「いたがき」の板垣会長にお会いしてきました。
鞄の「いたがき」って知ってる?
俺も周りにいたがきの財布やバックを持っている人は多数いて話はよく聞いていたけど、鞄などにはあまり興味が無いので・・・
「鞄のいたがき」
http://www.itagaki.co.jp/
今回、フナとの話から、空知単板の松尾社長にお力添いを頂き、親しい板垣会長にお会いする時間を作ってもらいました。
赤平市の郊外にある「いたがき」さんは、風光明美なところに立地していて、とても素敵な社屋でした。
外観 |
鹿の皮についてのご相談でしたが、73歳になる板垣会長は若々しく快活な方で、目をキラキラさせてお話頂きました。
お話の中で、社長を娘さんに譲り、会長職に就いている現在でも、「革の事しか考えていない」と言われていました。
第一線を離れ、悠々自適な毎日を送れる立場にあっても革の事しか考えていないと、キラキラした目で話されていた板垣会長は、本当に素敵な方でした。
そして、鹿は猟友会が駆除した時に出るものしかなく、品質が安定しない・・・
そしてフナちゃんに「鹿牧場をやればいい。それは何十頭じゃなく、何万頭という規模でやったらいい」と言われました。
唖然とするフナに板垣会長が言った「一生をかけてやろうと思えば何だって商売になる!」という言葉も、重く響く言葉でした。
北海道にもこんな素敵な経営者が、そしてブランド力を持った企業がある事に気付くと共に、誇りにさえ思えました。
社屋は、建築家が設計した環境にも配慮した素敵な建物でした。
フナちゃんの夢「メイドイン北海道」の防具実現に、乞うご期待!
間伐材のペレットを燃やすペチカ・・・やさしい暖かさでした。 |
小窓から見る本社ショールームの様子 |
鞄のいたがきさんの後は、友人でもある松尾社長の空知単板工業さんの見学です。
こちらは、友人の建築コンサルタントが考えている工務店に向けた建築規格の協会設立にむけて、国内で製造されているフローリングの4割をシェアを持つ松尾社長にご相談の為に伺いました。
以前から、お酒とカラオケの場では松尾社長と御一緒していましたが、会社に伺うのは初でしたが、とにかく凄い!!!
木の板の加工に、これだけの手間と品質管理をしているのに、何よりも驚きました。
そしてスタッフの方々の対応も素晴らしく、作業中にも関わらず、全員があいさつをしてくれる。
工場内の至る所に改善の取り組みが表示してあって、全員で努力している様子が伺えました。
北米の木材 |
木を薄くスライスする機械 |
木材を様々な過程で仕上げていく |
中でも驚いたのが、「バイオ乾燥機」。
一般的な乾燥機で木材を乾燥させると、木は細胞内に持っている天敵から身を守る為の毒素を放出する為、体が弱かったり、アレルギーなどがある方には良くない場合がある様ですが、バイオ乾燥機の場合にはそういう事が起こらないので、障害者の方の施設やアレルギー対策として活用され始めているそうです。
北海道の先進的な技術なんです。
自分の仕事とは直接関係はありませんが、北海道に日本が世界に誇る優良企業があり、それが札幌ではなく、地場産業であるという事に誇りを感じます。
空知単板工業株式会社HP
http://www.sorachitanpan.com/index.html
松尾社長は、100kmウォークをいうイベントを毎年開催していて、昨年は800人を超える参加者が100kmを走破したそうです。
俺も毎年誘われていましたが、いつもミニバレーの試合とブッキングしていたため、サポーターとして1度だけ参加しましたが、今年は参加者としてヒデと共に参加する予定です。
昨年、北海道のローカル番組で、松尾社長と100kmウォークの特集番組を放送していましたが、一緒に歩いていた松尾社長の娘さんがめちゃくちゃ可愛いんです。
人のご縁に感謝し、自分の居る環境に感謝し、自分のやるべき事をコツコツと継続する。
自らを育んでくれた地域に感謝して、そこから世界に発信している企業家との時間は、道産子として誇らしい一時であり、自らもそうありたいと思う指針にもなりました。
フナちゃん、頑張れ!
以前、取引先の希望で、余市のニッカウィスキー蒸留所に行ったことがありました。
全く興味もない場所でしたが、行ってみて考えが一変しました。
たった一人の日本人がスコットランドに渡りウィスキーの製造方法を学んで帰国し、余市の地で始めた仕事が一大文化となり、今なお活き続けている様子に感銘を受けました。
本物は、活き続けるのでしょうね・・・